第8章 1ダースの消しゴム

第8章 1ダースの消しゴム

出来ることなら消しゴムでその日1日を、まるごと消してしまいたい苦い思い出がある。
小学校5年に上がった新学期早々の春だった。

おばーちゃんがぼくの進級祝いに「クイズ大百科」という本を買ってくれた。

右のページにイラスト付きのクイズが書いてあり、左のページに答えが書いてある。
全部で50問くらいのなぞなぞが収録されてある本だった。

ぼくは、毎日寝る前布団の中で「クイズ大百科」を読むのが日課となっていた。

2週間も経たないうちに、その本に収録されているクイズとその答えはほとんど、そらで言えるようになっていた。
ぼくが通っていた梶田小学校では、高学年になると月の最終土曜日の3時間目に「お楽しみ会」という会をやることになっていた。

飴やチョコレートなどのちょっとしたお菓子とお茶が用意され、先生に指名された生徒が歌や小話などの特技を披露して、他の生徒や先生が感想を言い合うといった会だった。

4月の「お楽しみ会」で担任の福本先生が「金田くん、特技を発表してくださいと」言った。

ぼくは「クイズ大百科」で覚えたクイズをやることに決めた。
「日本で一番高い山は富士山です。
では日本で一番長い川は何川でしょう?」5人くらいの生徒が手を挙げた。

ぼくはクラスの中で一番仲の良い松下くんを当てようかと思ったのだけれど、きっと間違うだろうと思った。
周りを見渡したらクラスで一番勉強ができる谷本さんも手を挙げていたので谷本さんを当てることにした。

「信濃川です。
」と谷本さんが答えた。

「当たりです。
」と僕がいった。

クラスのみんなが拍手した。

2問目のクイズはぼくがアドリブで作った。
「日本で一番高い山は富士山です。
では日本で一番低い山は何山でしょう?」
今度はだれも手を挙げなかった。

「答えは東山です。
」とぼくがいったら、みんなが一斉に笑った。

東山は町の東側にある、丘に毛が生えたような山だ。
正式な名前が東山ではないと思うが、みんな東山と呼んでいた。

「お楽しみ会」が終わった後、福本先生が「金田くんのクイズ、むっちゃ面白いね。
」と言ってくれた。

次の日の放課後、クラスで一番けんかが強い小田くんが「金田、クイズやってくれ。
」といった。

ぼくは、みんなの前でクイズを2問出した。

その日以降、ぼくは放課後のヒーローになった。
一週間くらい経った頃、そろそろ皆が放課後のクイズ大会に飽きてきているのを感じた。

ぼくはいつまでも「放課後のヒーローでいたい」そう考えていたんだと思う。

そこで、考え付いたのがクイズの正解者に景品をあげるという演出だった。

問屋のおにーちゃんがくれた新作文具のサンプルをクイズの正解の景品にし、正解者に配った。

「放課後のクイズ大会」は再び活気づいた。

やがてサンプル品の手持ちが無くなると、お店の商品をくすねるようになった。

「おかーちゃん、消しゴム無くなったから、1個持っていくで・・。
」といって棚から4,5個の消しゴムをくすねた。

そんなことを何回か繰り返しているうちにものすごく心が痛んだ。

当たり前のことだが、おばーちゃんとおかんとおとんが一生懸命はたらいて儲けた利益が減るからだ・・。

翌週のある日、山城くんが太鼓焼きを買いに行こうといったので、友達何人かと自転車で隣町のダイエーにいった。

1階の「ファーストコート」で太鼓焼きを買って食べた後、僕達は2階の雑貨売り場を見てまわった。

文房具のコーナーを見ていた時、僕の心に悪魔が入りこんだ。

そろそろ帰ろうということになり、みんなで駐輪場に向かった時、ぼくは「お腹が痛いからトイレに行ってくる。
先帰っといて。
」とみんなに言った。

みんなが自転車に乗って駐輪場から出て行くのを隠れながら見届けた後、ぼくは2階の文房具コーナーに向かった。
文房具コーナーを2周まわり、周りに誰もいないのを確認して、棚からくだものの香りがついた消しゴムを3つかみ上着のポケットにねじ込んだ。

心臓は高鳴り、こめかみまでどくどくしていた。

小走りで階段を駆け下り、ドアを出た瞬間だった。

いきなり後ろから羽交い絞めにされた。

「こらクソガキ、お前万引きしたやろ!」
青い制服を着たダイエーの警備員2人だった。

ぼくは頭が真っ白になり自分ではない自分が必死に逃げようともがいていた。

そのまま警備員室に引きずられて、いすに座らされた後、逃げないように中から鍵をかけられた。

ぼくはポケットから消しゴムを出した。
消しゴムは全部で12個あった。

警備員の1人が紙と鉛筆を出して「名前と家の電話番号をここに書き」と怖い目でやさしく言った。

「それだけは堪忍してください」とぼくは泣きながら何回も言った。

「ほんなら警察連れていかんなあかへんで・・」ともう一人の警備員がいった。

どうしようもなくなったので、ぼくは紙に名前と電話番号を書いた。

警備員は受話器持ち、黒電話のダイアルをまわした。

「もしもし金田昭洋君のおかーさんいらっしゃいますか?」
電話に出たのはおかんのようだった。

「私、ダイエー中木店の警備の者ですが、実は息子さんが万引きしましてん。
迎えに来てもらえますやろか?」
おかんがやって来るまで30分くらの間、警備員のおちゃんが「今回が初めてか?」とか「悪い事は癖になるから捕まってよかった。
」とか言っていたけれど、ぼくは上の空だった。

おかんが慌てた様子でやって来て「あんたなんちゅう事したん」といってぼくの頭を叩いた。

さらに盗んだ物が消しゴムだと分かってさらにもう一発殴られた。

おかんは警備員に何回も謝って、ぼくは、「もう二度とやりません。
」という誓約書を書かされた。

家に着いた時、おとんは配達に出ていた。
おかんはどういう風に怒ったらいいのかすら分からなかったみたいで、ずっと黙っていた。

おとんが帰って来ておかんが今日の事を掻い摘んで話をした。

おとんは顔を真っ赤にしてぼくのほっぺたに往復ビンタを2往復させた。
「お前のやった事は万年筆泥棒とおんなじことやぞ!!」と怒鳴った。
ぼくははっとするのと同時にとてつもない強烈な後悔に襲われた。

足と手が小刻みに震えて止まらなかった。

店を閉めて夕飯の時間になってからも、ぼくはずっとお店で泣いていた。

だれも呼びにはこなったし、みんな心が傷ついていた。

おばーちゃんのお店では、今までどんな事があっても誰かが突破口を開いて解決してきたけれども、今回ばかりは誰もどうも出来なかった。

それから2週間くらいは、灰色の闇がお店を覆っていた。

その2週間、夕飯でおとんは冗談も言わなかったし、普段は機関銃のようにしゃべるおかんも口数が少なかった。
もちろんぼくも暗かった。

ようやくみんながの心の傷が癒えたころ、何で消しゴムだったのかという話題になった。

けれど、それはぼくにもわからなかった。

何年か経ってぼくがほとんど大人になった頃、おばーちゃんが「おとんも小さい頃、同じ様なことをした」と教えてくれた。

おとんは大学ノートだったらしい。

くだもののにおいがする1ダースの消しゴムと大学ノート。
その時ぼくの心の傷はおとんと半分ずつになったけれど、おばーちゃんは2回同じ心の傷を負っていたことを知った・・。

第9章 「昭和の第4コーナー」

第9章 「昭和の第4コーナー」

小さな町の小さな文房具屋、時の流れが止まっていたようなおばーちゃんのお店は、おとんの文房具屋デビューとともに時間の流れが一変した。

今思えば、おとんの文房具屋デビューは一つのきっかけにすぎない。

昭和という時代が第4コーナーを駆け抜けゴールに向かうラストスパート真っ只中にぼくたちはいたのだと思う。
おとんが発明した??「文房具の出前」は相変わらず絶好調だった。

まぐれの域は抜け、なんとなくちゃんとした波を掴んだ。
そんな感じだった。

おとんは朝から晩まで配達に追われ、仕入れの量も格段に増えた。
問屋さんの営業兼配達のおにーちゃんも頻繁に出入りするようになり、お店は活気にあふれていた。

夏休みに入ったぼくは、午前中は宿題、午後は自転車配達員として借り出された。

自転車で行ける範囲は僕が担当だった。
友達と遊びに行ったり、野球をしたりする時間はあまりなかったけれど、もともとお店の手伝いは嫌ではなかったし、そんなに苦にはならなかった。

差し詰め、おとんが営業第1課でぼくが2課。
少なくともぼくはそう思っていた。

ぼくの自転車の荷台には「ボテバコ」という箱が付いていた。
郵便局員の自転車に付いてあるレンガ色の箱だ。

それはぼくの小さな自転車におおよそアンバランスで、おかんは箱だけ走ってるみたいとよく笑っていた。

配達先のおっちゃんやおばちゃんは、みんなおせっかいな商売の先生だった。

小学生が商品を配達したり、集金したり、返品を取りに来たりするのが微笑ましく、応援してくれていたのだと思う。

山上紙業の専務は商品の置き方一つにいちいちうるさかった。
ノートの裏表が全部一緒になっていなかったら、「ちゃんと揃えてもってこい!」と言ったり、ボールペンをばらで持ってくると、「今度からゴムで縛って来い!」と怒られた。

昭和精機のおばちゃんは挨拶にうるさかった。
いつも「こら!ぼく「毎度」に元気がない!!」といった。

中村製菓に配達に行くと、おばーちゃんと同じ年代の事務員がいつも帰りにチラシの紙でつくった袋にあられを入れて持たせてくれた。
焼きたてのあられは、ものすごく良い匂いがして、ぼくは中村製菓に配達にいくのが毎回楽しみだった。

その反面、2つ苦手な得意先もあった。

1件は柳田商店という同級生のおとうちゃんがやっている店だった。

梶田病院の敷地内にある柳田商店は入院患者のために生活雑貨を売る店だった。

柳田くんもぼくと同じ境遇らしく、ぼくが配達にいった時はたいがい店番をしていた。

「毎度です!」
「いらっしゃい!!」
小学校の同級生に向かっておとなの会話になるのがとても気恥ずかしかった。

柳田くんもきっとそう感じていたんだと思う。

もう1件は駅前の梶田不動産だった。

梶田不動産には、ちょっとだけ色の付いためがねの奥から怖そうな目を覗かせている社長と、いかにも怖そうな奥さんがいた。

梶田不動産に初めて配達に行った日のことだった。

商品をカンターに置き、お金を受け取って帰ろうとした。

「ぼく、ちょっと待ち!!」奥さんが怖い声色でぼくを呼び止めた。

「ぼくは商売人の息子やろ?」
「はい」
「ほんなら、手ぶらでかえったらあかんがな」
「配達に来たら、帰りには必ずこういうんや」
「切らしてるもんありませんか?」
奥さんは机の引き出しを開けてから「次、近所に配達に来る時、方眼紙を2冊持ってきてな」とぼくにいった。

ぼくは次の配達先で、梶田不動産の奥さんが教えてくれたことを早速試してみた。
「なんか、切らしてるものありませんか?」
事務員の女性は、少しびっくりしたようだったけれど、慌てて自分の机の引き出しを探りはじめた。
さらに周りの事務員さんに「何か注文するもある?」と聞いてくれ、取りまとめたメモをぼくに渡してくれた。

お店に帰り、メモをおとんに渡してから、今日のことを報告した。

おとんは満面の笑みで「ようやった!!」と褒めてくれた。

おばーちゃんとおかんもニコニコしていた。
空が今にも泣き出しそうなある日の午後のことだった。

そんな天気にもかかわらず、ぼくは「ボテバコ」にビニールカバーを掛けずに配達に出かけた。
いつもはおかんが天気を気にしていて、雨が降りそうな日には「カッパとビニール忘れたらあかんで」と注意してくれたのだが、その日はおかんも自分のことに追われ、天気のことまで気が回らなかった。

山上紙業に着く間際で激しい夕立が降り始めた。

「ボテバコ」の商品の上のほうは水浸しだった。

ぼくはびしょ濡れになった便箋4冊とプラスチックサシをもって山上紙業の事務所に続く階段を上った。

入り口の手前でぼくは便箋をシャツとズボンの間に隠した。

商品の体裁にうるさい専務に、ずぶ濡れの便箋を見せたらまた、こっぴどく怒られると思ったからだ。

ぼくはプラスチックサシだけカウンターに置いた。

「便箋は品切れか?」と専務が聞いた。

「明日持ってきます。
」とぼくは答えた。

専務はカウンター越しにぼくのお腹を触った。

「それ、出してみ!」
ぼくは、びしょ濡れで表紙が波打った便箋をカウンターに置いた。

それを見た専務は自分の机に戻りタオルを持ってきて便箋を丁寧に拭いた。

「なんぼや?」
「480円です」とぼくは答えた。

帰り道は幸い激しい雨が降っていたので、ぼくの涙は雨と一緒に地面流れた。
ぼくの町の先生たちはとてもおせっかいだった。

昭和の第四コーナー・・
ものすごくいい時代だったのかも知れない。

第10章 くすり屋に生まれて

第10章 くすり屋に生まれて

そよ風がちょっとだけ涼しくて、気持ちのよい秋の始まりの日だった。

向かえのくすり屋のおっちゃんが死んでしまった。

お酒を飲んで、咳薬を大量に飲んで、お風呂に入って、心臓マヒだったらしい。

くすり屋は3日くらいシャッターが閉まりっぱなしだったので、もっと早く気づけばよかったのだけれど、おばーちゃんもおかんも気づかなかった。

くすり屋のおっちゃんはサボり癖があったので、平日もシャッターが閉まるっていることが多かったし、向かえだったので逆に少しの変化に気づかなかった。

3年前、くすり屋のおばちゃんが1人息子の孝ちゃんを連れて出て行って以来、おっちゃんは天涯孤独の身になった。

警察からの連絡を受け、3年ぶりにおばちゃんと孝ちゃんがこの町に帰ってきた。

孝ちゃんはぼくの3つ上でよく遊んでもらった。
キャッチボールの時は手加減して投げてくれるのだが、それでもビューンと唸っていた。

二人でよく落とし穴を掘った。
近所の子供達がバッタ取りにいく広っぱがあり、そこに続く小道に穴を掘って、新聞紙で蓋をして土をかぶせた。

ぼく達は少しはなれた木陰から誰かが引っかかるのを待った。

はじめは15センチほどの深さで、引っかかった子供は足首くらいがずぼっと埋まり、ちょっとよろめくのを見て、ぼく達は声を押し殺して笑った。

「昭、いっかいうち帰るぞ」と孝ちゃんがいって、穴を埋め始めた。

「こうちゃん、もう一回やろうや!」とぼくがいった。

「もっと深くほんねんや」
家についた孝ちゃんはくすり屋の裏庭から大きなシャベルと新聞紙を持ってきた。

ぼく達は小道に戻り、誰も来ないのを確認して急いで穴を50センチくらいの深さまで掘った。

そして新聞紙何枚かで蓋をし、土を薄くかぶせて木陰に隠れた。

普段、子供しか通らない小道に、なぜか牛乳屋のおっちゃんが自転車でやってきた。

牛乳屋のおっちゃんは町の人気者で、いつもキャラメルを持っていて、子供に会う度に「勉強がんばりや」といってキャラメルを一個くれた。

孝ちゃんが「あかん」と小声で呟いた瞬間、牛乳屋のおっちゃんは宙を舞っていた。

「ガッシャン」という音とともに、牛乳瓶が砕け散り、おちゃんは地面に倒れていた。

牛乳屋のおっちゃんはぴくりとも動かなかった。

孝ちゃんがぼくの肩をたたき、目で「逃げるぞ」と合図した。

帰り道「牛乳屋のおっちゃん死んでへんかなぁ?」とぼくは孝ちゃんに聞いた。

「大丈夫や」といった後「絶対に誰にも言うなよ」と孝ちゃんは付け加えた。

ぼくたちはそれぞれのお店に帰った。

ぼくは夕飯がのどを通らなかった。

「あんた、元気ないけど、なんかあったんか?」とおかんが聞いた。

夕飯のあと、不安でいたたまれなくなり、本屋に行ってくると嘘をついて、牛乳屋に様子を見に行った。

牛乳屋はシャッターが閉まっていたので、中の様子は分からなかったけど、店の前に前カゴが変形した自転車が置いてあったので、牛乳屋のおっちゃんが死んでいないことだけは分かった。

店に帰ったぼくに「あんた、絶対なんかおかしいわ」とおかんが言った。

ぼくは泣きながら今日のことを説明した。

「悪いことばっかりして、あほ!」
「牛乳屋のおっちゃんのとこへ謝りにいくで」とおかんが言った。

先にくすり屋に行きおかんがおっちゃんに今日のことを説明した。

「孝介!!」とおっちゃんが2階にいた、孝ちゃんを呼びつけた。

それから4人で牛乳屋に謝りにいった。

おかんがシャッターの横にあるブザーを「ブー」と2回鳴らした。

ぼくは、牛乳屋のおっちゃんの怪我がひどくないことだけを祈っていた。

シャッターの横の小さな扉が開き、牛乳屋のおばちゃんが出てきて、ぼく達はお店に入った。

奥でおっちゃんがテレビを見ていた。
額と肘にバンドエードを貼っていたが、他はなんともないようだった。

ぼくと孝ちゃんはおっちゃんに「ごめんさない」と6回くらいあやまった。

「ほんまびっくりしたで・・。
あんまり深い落とし穴は危ないから、これから浅いのにしときや」とおっちゃんは笑っていった。

帰り際、ぼくと孝ちゃんにキャラメルを1箱づつくれた。

おかんが「割れた牛乳、弁償しますわ」といったけれど、おっちゃんは受け取ろうとしなかったので無理やり机の上に2千円を置いて店を出た。

店の前でくすり屋のおっちゃんは孝ちゃんを5,6発手加減なしで殴った。

店に帰ったら、おとんはにやにや笑って「わしがちっちゃい時は背丈くらい穴ほったで」といった。

ぼくはおとんがおとんでよかったと思った。
孝ちゃんはくすり屋のおっちゃんの事が嫌いだった。

賭け事とお酒が好きでおばちゃんと孝ちゃんによく暴力を振るうからだと思う。

「死んでもうたらええ」とよく言っていた。
孝ちゃんがこの町に帰ってきていた2日間、ぼくは孝ちゃんと一言も喋らなかった。

あんなに仲がよかったのに。
3年ぶりに再会すると気恥ずかしかった。

孝ちゃんも同じ態度で、お互いがお互いの存在を無視していた。

お葬式が終わりおっちゃんの棺が霊柩車に乗せられた。

そして霊柩車が長いクラクションを鳴らして出発した時、孝ちゃんが声を上げて泣き出した。

ぼくは孝ちゃんが、くすり屋のおっちゃんの事をものすごく恨んでいると思ったので、すごく驚いた。

おばーちゃんが孝ちゃんの肩を優しく揉んだ。

すっかり日が暮れたころ、くすり屋のおばちゃんと孝ちゃんがお店に「今から和歌山に帰る」と挨拶にやってきた。

その時が孝ちゃんと口を聞く最後のチャンスだったけれども、結局何も話せなかった。

おとんが「孝ちゃんがんばりや」といった。

孝ちゃんは「はい」と頷いた。

それから、みんなで路地に出て2人が駅に向かうのを見送った。

角をまがるほん手前で孝ちゃんが振り向き手を振った。

孝ちゃんはぼくを見ていた。

ぼくも手を振り返した。

そして2人は角を曲がり姿が見えなくなった。
何年か経ってぼくはテレビの中で孝ちゃんを見つけた。

夏の甲子園大会で孝ちゃんは和歌山代表校のエースだった。

テレビの解説者は「エースの前川くんは幼いころお父さんを亡くされて、お母さん1人に育てられました。
天国のお父さんが見守ってくれているでしょう。
」と解説していた。

孝ちゃんの投げるストレートはあの日とおなじでビューンと唸りを上げていた。

第11章 おかんとぼくの暗黙同盟

第11章 おかんとぼくの暗黙同盟

12月になって、その年はじめて雪が降った日、ぼくの住んでいる梶田町が市に昇格した。
大阪市のベットタウンとして人口が増え、町が栄えた証だった。
おばーちゃんのお店はてんやわんやだった。

町中の会社や商店が名刺や封筒などの印刷物を作り直さないといけなかったので、印刷物の特需がやってきた。
それに加え、年末の需要と重なり、もはや、おかんとおばーちゃんとおとんだけでは、どうしようもないくらい忙しかった。

ぼくも、放課後は友達ともほとんど遊びに行けず、夕飯までの時間をお店の手伝いに借り出された。

ある日の夕飯で、おとんはパートの事務員さんと配達員を雇うと言い出した。

おばーちゃんは「いつ暇になるかもわかれへんし、家族以外には気を使うから、そんなんやめとき」と言った。

ぼくはおかんもおばーちゃんの意見に賛成するのかと思ったけれど・・。

おかんはよっぽど忙しかったのか・・。

以外に「パートやったら、暇になった時やめてもらえばええやん」と珍しくおとんの肩をもった。

おばーちゃんは珍しくむっとしていた。
1週間くらいたった頃、電話工事の人が来て電話を設置にやってきた。

最新式の電話機だった。

サーモンピンク色でダイヤルの部分が丸くなく、その代わりに0から9のボタンと#と書かれたボタンが付いていた。
次の月曜日、学校から帰ってきたら北島さんというおばちゃんと、木村正志という名のおにーちゃんがお店にいた。

その頃になると、店に買いにくるお客さんより、配達が多くなっていたので、おとんが陳列棚を2つ潰して、グレーの事務机を2台置いた。

壁に向かって北島さんと正志にーちゃんは隣同士座っていた。

「ぼく、こんにちは。
これからよろしくね」と北島さんがいった。

正志にーちゃんは「よろしくお願いします。
」と小学生に向かって敬語だった。

なんか家族が増えたみたいだったので、ぼくはすごく嬉しかった。
電話番の北島さんはおかんよりちょっと年上で、大阪市内の一流商社に勤めた経験がり要領がものすごくよかった。

おかんは電話に出ると、すぐ世間話に花を咲かせ長くなるのだけれども、北島さんは用件だけをてきぱきと聞いてすぐに電話切っていた。
しかも感じがよかった。

1週間もたたないうちに北島さんは、おばーちゃんとおかんを足したくらいの電話の量をこなしていた。
正志にーちゃんは苦学生で、電車で5つ離れた駅の夜学生だった。

奈良県で一番京都よりの町の出身で、大阪の夜間大学に通うためこの町に下宿していた。

絵に描いたようなまじめ人間で、おとんとそっくりな黒ぶちのめがねをかけていた。
ある日から、正志にーちゃんとおとんがペアーで配達に出かけるようになった。

おとんが車を運転して、配達先の前に止め、正志にーちゃんがダッシュで商品を持って行き、お金をもらってくるというやり方だった。

その作戦は功をそうし、こちらもまた倍くらいの配達をこなした。

ある日からおかんとぼくは、暗黙に同盟を結成した。

おとんとおばーちゃんが事あるごとに、北島さんと正志にーちゃんを褒めるので2人とも嫉妬に頭を支配されていたからだ。
夕飯ではいつもおかんは北島さんのことを「杓子定規やわ」と悪口をいい、ぼくは正志にーちゃんのことを「声が小さいくて、元気がないわ」と生意気を言った。
同盟中、おかんは気持ち悪いくらい優しかったし、ぼくも気持ち悪いくらいおかんの前でよい子だった。

冬休みに入って間もないある日、おばーちゃんのお店に緊急事態が発生した。

おとんが39度の熱を出し、おばーちゃんが持病の胃痛で同時に寝込んでしまった。
朝出勤して来た正志にーちゃんがそれを知ると、おかんの自転車の荷台にダンボール箱を縛り付けて、商品と伝票を握り締め、鬼の形相で配達に出かけた。

ぼくも負けじと自転車で配達に出かけた。

北島さんも朝から、いつもよりいっそう眉毛をきりっとさせ、電話を掛けまくった。

車でしかいけなさそうそうな、得意先を住所録でしらべ配達は明日以降になると説明していた。

おかんも燃えていた。

持って出た商品を配達し終わり、お店に戻るとおかんが次の「品出し」をしてくれていた。

いつしか自然にぼくとおかん、北島さんと正志にーちゃんというペアーになっていた。

文房具屋に生まれたぼくと、文房具屋に嫁いだおかんにとってこの勝負は負ける訳にいかなっかった。

もちろん、北島さんと正志にーちゃんはそんなことを、意識しているはずもなかったのだけれど・・。

4人は1日中走り回った。
自転車で行ける範囲の配達が全て終わった頃、ちょうど日が暮れた。

「そろそろ終わろうか」とおかんがいった時、正志にーちゃんが「どうせ、もう学校も間に合えへんし、もう一件だけ行ってきます。
」といった。

北島さんが1件の得意先に電話をした。
午前中に電話して怒られたお客だった。

「さきほどは失礼しました、今からお伺いできるかもしれませんが、今日は何時までいらっしゃいます?」・・「では、今から行きますので7時前には着くと思います」といって電話を切った。

そして「マサくん、もう一件がんばって」といって商品と伝票を正志にーちゃんに渡した。

正志にーちゃんはいつになく大きな声でにやけながら「行ってきます」と出て行った。

勝負はぼく達の逆転負けだった。
おかんは「松葉屋で巻き寿司15本とタカラブネでケーキ5個こうといで」といってぼくに千円札2枚と五百円札1枚を渡した。

いつもより、だいぶ遅い夕飯は、いつもと違う顔ぶれだった。

おとんの席に正志にーちゃん、おばーちゃんの席に北島さんが座った。
巻き寿司をかぶりつきながら、おかんとぼくの暗黙の同盟は暗黙のうちに解散することにした。

理由はよくわからなかったけれど、爽やかですっきりした気分の夜だった。