第18章 かすれ声のアカペラ・・(素歌)

第18章 かすれ声のアカペラ・・(素歌)

ある日、金田文房具店に一通の表彰状がやって来た。
文房具の商社で南海商事という1次代理店が、売り上げ上位の2次代理店に対して、表彰し、目録で温泉旅行に招待するという「ガッツコンテスト」なる企画を今年から始めたのだ。

うちの店で今年の春先やった「そろばん高価下取り祭り」が功を奏し、電卓がバカ売れしたのがコンテスト上位入賞の勝因だった。
当時、経理のベテランのおばちゃん達はいくら電卓を勧めてても、長年使い慣れたそろばんを手放そうとはしなかった。
そこでおばーちゃんがある作戦を考え付いた。

おとんと正志にーちゃんとぼくは、高性能でプロ仕様の高価な電卓のパンフレットに、「今お使いのそろばん高価下取致します。
」というチラシを付けて経理の政所みたいな人に手当たり次第配った。
経理の政所さん達は下取りがあってお金が返ってくるという事より、むしろ長年愛した自分のそろばんに、価値を感じてくれるという心意気が受けたのだと思う。
僕の町と近所の町のそろばん派は一斉に電卓派に寝返ったのだ・・。
政所さん達が電卓を使いこなした頃を見計らい、今度は比較的安価な電卓のパンフレットを持っていく。
すると、政所さん達は部下達全員に電卓を買い与えた。
この作戦で電卓は文字どおり飛ぶように売れたのだ・・。
おばーちゃんの商売センスは並ではない・・。

商売には売りと買いがあるのだけれど・・。

おばーちゃんの商売は買い手が幸せな気分になる。
そんなやり方だった・・。
電卓を買ってもらった会社に配達に行くと、いつも政所さんのぱちぱちと電卓をたたく音が、心地によく響いていた・・。
南海商事の社長と専務がうちの店に黒塗りの車でやって来て、おとんに表彰状を渡した。

頭が少し薄くて顔が真っ黒な南海商事の社長が「表彰状、貴社は南海商事が主催するガッツコンテストにおいて大阪商売魂を遺憾なく発揮し、文房具の拡販に貢献されました。

よってここに表彰いたします・・。
」と読み上げ、おとんに表彰状を手渡した。
おとんは卒業式で卒業証書を受け取る小学生みたいに表彰状を両手で受け取った・・。
専務が「温泉旅行」と書かれた目録の封筒をおかんに渡した。
おかんも小学生みたいだった・・。
おかんはとにかく招待とかプレゼント、いわゆる無料で恩恵を受けるということが、人一倍好きだったので、ものすごく喜んでいた。
おとんとおばーちゃんは、子供相手の駄菓子屋となんら変わらない程度の文房具屋が、それなりの商売になったこれまでの道程と、なんとなくこれからもやって行けそうな確信に感慨深いものがあったのだろう。

おかんとは対照的に喜びを噛みしめている感じだった。
目録旅行の行き先は箕面温泉で大阪府下では一番秋の紅葉がきれいなところ言われ、この季節にもってこいの観光スポットだった。
その日の夕飯は温泉旅行の話でもちきりだった。
おかんは何を着ていくか?とか新しいかばんが欲しいとか、雨が降ったらいややなぁ~とか、ものすごく上機嫌で・・。
4名までご招待だったので、おばーちゃんは「親子4人で行ってきい!!」といったのだけれど・・
おとんは「おれは温泉はあかん、片足やから滑ってこけてしまうがな・・」といったので、結局ぼくとおばーちゃんとおかんと良子の4人で行くことになった。
旅行当日、僕たちは集合場所の大阪駅噴水前に着いて、「南海商事販売店様ご一行」という旗を見つけた。
いつもお店に来る営業担当の坂見さんが「ご苦労さんです」と声を掛けて来た。
それからガッツコンテストと書かれたワッペンをもらってバスに乗り込んだ。
10社の文房具店、総勢40名が乗り込みバスは大阪駅を出発した。
途中、能勢の焼肉屋で昼食取り箕面の温泉宿に到着した。
バスを降りる時、ガイドさんが「この辺り、箕面公園の猿はいたずら好きなので、食べ物を持って歩くと大変危険です。
ご注意ください。
」と言った。
僕たちは温泉宿について取りあえず温泉に入った。

おかんとおばーちゃんと良子と入り口で別れ、ぼくは男湯に向かった。
ぼくは温泉が初めてで、ぬるぬるして気持ち悪かったので湯船には入らず、体だけ洗ってロビーで待っていた。
女3人が温泉から上がって来て部屋に戻ってから、ぼくらは浴衣でおみあげ街にくりだした。
良子は腕にしがみ付く猿の人形を、おかんに買ってもらていた。

ぼくは学校の友達に上げる猿がモチーフのキィーホルダーを10個、おばーちゃんに買ってもらった。
すっかり日が暮れて夕食兼宴会が旅館の大広間で始まった。
南海商事の社長が挨拶し、専務が乾杯といって会が始まった。
しばらくして、営業担当の坂見さんが社長と専務を連れて、おかんとおばーちゃんにビールをつぎに来た。

おかんは飲めないビールを断れず、すぐに赤い顔になって目の焦点があってないようだった。

宴会も終わりに近づいた頃、司会者が「ガッツコンテスト3位、「文具のタキムラ」滝村社長よりご挨拶をいただきます。
」と言った。
滝村社長は「これから文具業界をみんなで盛り上げ行きましょう」的な締めをして宴会場のみんなが盛り上がった。
次に2位の株式会社山本の社長が、今後の景気についてみたいな話をした。

司会者は「次に・・・
唯一中河内地区からの入賞、金田文房具店のおばーちゃんから一言いただきます」と言った。
ぼくとおかんはものすごくびっくりして目を合わせた・・。
おばーちゃんは涼しい顔ですっと立ち上がり壇上に上がった。
「今日は店主の息子がこれませんでしたので、粋な挨拶ができません。
その代わりといってはなんですが・・1曲歌わせていただきます」と言って・・
アカペラで「無法松の一生」を歌いだした。
歌いだし4小説目くらいから、自然と手拍子が大きくなりかすれ気味なおばーちゃんの歌声は皆の心を突き刺した。
南海商事の専務は泣いていた・・。
おばーちゃんの歌が終わると会場は拍手喝采で・・。
ぼくはなんとも言えない誇りを胸に感じた・・。
人の心を包む時は・・けして上手いとか下手とかではなく、ましてや仕組まれたものでもなく・・。
上手く言えないのだけけれど・・きっと・・それが正しいんだろう。