第17章 世界で一番暑い秋
長い夏休みが終わり・・。
2学期が始まる始業式の日
隣のクラスに中内くんという転向生がやってきた。
小柄でちょっとだけやさしい関西弁をしゃべる男の子だった。関西弁と一言でいっても、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山、地域によってイントネーションや微妙な発音が異なる。
さらに大阪の中でも地域によって違いがあり、ぼくの住んでいた町は大阪の中でも、もっとも激しいと言われる河内弁を話す地域で・・
北大阪からやって来た中内くんの話す言葉は、まわりの友達に比べちょっと、やさしく聞こえたのを覚えている。次の日曜日、地区子供会のソフトボールチームの練習に中内くんと中内のおっちゃんがやって来た。
練習が始まる前、監督がみんなを集めて「チームに新しいメンバーが入ります。中内くんです。6年生なのであとちょっとしかありませんが、みんなでがんばって行こうや。」と中内くんを紹介した。
「それから、中内くんのおとうさんは、チームのコーチをやっていただくことになったので、みんな良く言うことを聞くように」と監督が言った。僕たち6年生にとっては最後に3ヶ月後の秋の市大会を残すだけだったので、ぼくはなんで今ごろ中内くんがチームに入ってくるのか不思議だった。ぼくの地区のソフトボールチームは、気合も微妙で、春と秋の大会の2・3ヶ月前から練習が始まり、伝統的に弱小チームだった。
いつも1回戦負けか、よくて1回戦を奇跡的に勝利し、その日は一丁前にみんなで盛り上がるのだけれども、翌週の2回戦ではコールド負けといったパターンが何年も続いていた。僕は5年の秋季大会からこのチームのレギュラーで3塁を守っていた。
けして野球はうまいほうではなかったけれど、文房具の配達で鍛えた足腰と少し背が高かったこともあって、弱小チームの中では一目置かれる存在だった。中内くんは内野希望だったので(というかフライがまったくだめだったので消去方的に・・)守備練習では3塁でノックを一緒に受けることになった。
中内くんは、ノックのゴロが飛んでくると右手がうちわを仰ぐようにぷるぷる振るわす変なくせがあるし、1塁までは必ずワンバウンド送球で、いかりやちょうすけ風に言うと「だめだこりゃ・・」という守備ぷっりだった。コーチに就任した中内くんのおちゃんは、小太りでいかにも優しそうなおっちゃんだった。
どんな球を打つのかみんなが興味深深だったのだけれども・・。
ノックが始まるとファールチップばかり連発して、5スイングに一回くらいしか前に飛ばず、監督も苦笑いをしていた。その日の練習の帰り道、ピッチャーの谷村くんと「厄病神の親子がきてもうたな。。」とそれなりに真剣に話した・・。次の日曜日、中内くんのおばちゃんも練習にやってきた・・。おばちゃんは麦茶を樽型のポットで2つとバナナを袋一杯持ってきて、河川敷の球場のベンチに座って練習を見ていた。中内くんとおっちゃんは僕たちの迷惑そうなオーラを読んだようだった。
グランド練習には参加せず、ファールグラウンドの片隅で親子水入らずのノックをやっていた。相変わらず、おっちゃんのノックもとんちんかんで、中内くんもボールを後ろにそらして拾いにいく光景ばかりを横目で見ていた・・。休憩時間に中内くんのおばちゃんが、麦茶とバナナをチームメイト全員に配ってくれた。後半の練習が始まっても相変わらず、中内親子はうまくなるための練習とは言い難いとんちんかんノックを、なぜか2人とも泣きそうな顔でやっていた。監督が見るに見かねて中内くんに足の動きとグローブの出し方を、おっちゃんにはバットの基本的なスイングをアドバイスしていた。
チームメイトみんなが「だめだこりゃ・・。」という顔で2人を見ていた。次の週も同じ練習風景だったけれど。おっちゃんのノックは少しシャープになっていた。この一週間でかなりバットスイングの練習したようだった。中内くんのほうは相変わらずで、あきらかに球技に向いていない体の動きだ・・。休憩時間になって中内くんのおばちゃんが、銀紙に包んだおにぎりと麦茶をみんなに配った。とてもやさしいおばちゃんだった。後半の練習に入り中内親子は奇妙なこと始めた。
中内くんがキャッチャーのマスクをかぶって壁際に正座し、おっちゃんが至近距離からノックをした。
中内くんは泣きべそで・・。
おっちゃんも泣きそうな声で「ボールから逃げるな!!」と叫んでいた。それから2週間ほどたったころ、僕たちは中内親子を応援し始めた。平日も夕飯を食べた後、中内くんの家にチームメイト何人かで集合し、隣のガレージで街灯のうす明かりの下、ゴロの練習とバットスイングを中内くん教えてあげた。帰り際、おっちゃんはいつも「みんないつもおおきにな・・」と言って、おばちゃんはプリンやら柿やらをみんなに持たせてくれた。ようやくチームに迷惑を掛けない程度にうまくなった中内くんは、個別練習を卒業しグランド中の練習に混じった。相変わらず、10回に1回くらいは、ゴロが飛んでくると右手を震わすくせが出るので、そのたびに僕たちは「ナッカン、右手!!」と注意した。大会前週の練習が終わった時、監督がみんなを集めてユニホームに付ける背番号を渡した。
ぼくがもらった背番号は5番で中内くんは11番だった。
背番号は守備位置と紐付いていたので、10番以降は補欠を意味する。中内くんとおっちゃんとおばちゃんはその結果に納得している風な顔をしていたけれど、ちょっとは淡い期待を持っていたので、内心は残念に思っていたのだと思う。その年の秋季大会で、僕たちは例年なく、ことごとく接戦をものにして、準決勝まで勝ち進んだ。
きっと夜の特訓会のおかげで中内くんだけでなく、僕たちも上達していたのだと思う。準決勝、僕たちの例年にない快進撃が町内の噂になり、たくさんの人が応援に来てくれた。
全くソフトボールに興味ないおかんとおばーちゃんも見に来ていた。1点ビハインドで最終回の攻撃を向かえた。
先頭バッター、5年生のケンジがファーボールで出塁・・。監督は今まで見たことのない顔付きになっていた。続く、佐久川くんは高めのつり球に手が出てしまい・・あえなく三振・・。
次のバッター菊川くんがロボットみたいな格好でバッターボックスに入った。
案の定・・初球を思いっきり力んでキャッチャーフライに倒れた・・。
2アウト、ランナー1塁・・。ぼくは監督のほうを見た。ナッカンのおっちゃんとおばちゃんもちらちら監督のほうを見ていた。ぼくはがんばったナッカンのためにというよりも、むしろおっちゃんやおばちゃんのために、ナッカンを代打に出してほしいと思った。監督が立ち上がり、審判に
「代走、中内・・」と告げた。
代打ではなかったけれど、監督の機転が利いた作戦だった。
確かにナッカンはむちゃくちゃ足が速い。
中内くんのおっちゃんは興奮して目が充血し、おばちゃんは緊張あまり顔をうつぶせていた。
1塁に向かうナッカンに「孝治!!死ぬ気で走れ!!」とおっちゃんが叫んだ。
監督は初球から、盗塁のサインを出した。
ピッチャーの手からボールが離れた瞬間、ナッカンがスタートを切った。
キャッチャーの送球が高めにそれて2塁の審判が両手を大きく広げた。
「セーフ」
おっちゃんもおばちゃんもぼくらも監督も狂喜乱舞だった。結局その試合は勝てそうな予感とは裏腹に、次のバッターがあっさりとピッチャーゴロに倒れ、ゲームセットとなったけれど・・。僕たちは中内一家のおかげで、世界で一番暑い秋を体験することができた・・。