第8章 1ダースの消しゴム
出来ることなら消しゴムでその日1日を、まるごと消してしまいたい苦い思い出がある。
小学校5年に上がった新学期早々の春だった。
おばーちゃんがぼくの進級祝いに「クイズ大百科」という本を買ってくれた。
右のページにイラスト付きのクイズが書いてあり、左のページに答えが書いてある。
全部で50問くらいのなぞなぞが収録されてある本だった。
ぼくは、毎日寝る前布団の中で「クイズ大百科」を読むのが日課となっていた。
2週間も経たないうちに、その本に収録されているクイズとその答えはほとんど、そらで言えるようになっていた。
ぼくが通っていた梶田小学校では、高学年になると月の最終土曜日の3時間目に「お楽しみ会」という会をやることになっていた。
飴やチョコレートなどのちょっとしたお菓子とお茶が用意され、先生に指名された生徒が歌や小話などの特技を披露して、他の生徒や先生が感想を言い合うといった会だった。
4月の「お楽しみ会」で担任の福本先生が「金田くん、特技を発表してくださいと」言った。
ぼくは「クイズ大百科」で覚えたクイズをやることに決めた。
「日本で一番高い山は富士山です。
では日本で一番長い川は何川でしょう?」5人くらいの生徒が手を挙げた。
ぼくはクラスの中で一番仲の良い松下くんを当てようかと思ったのだけれど、きっと間違うだろうと思った。
周りを見渡したらクラスで一番勉強ができる谷本さんも手を挙げていたので谷本さんを当てることにした。
「信濃川です。
」と谷本さんが答えた。
「当たりです。
」と僕がいった。
クラスのみんなが拍手した。
2問目のクイズはぼくがアドリブで作った。
「日本で一番高い山は富士山です。
では日本で一番低い山は何山でしょう?」
今度はだれも手を挙げなかった。
「答えは東山です。
」とぼくがいったら、みんなが一斉に笑った。
東山は町の東側にある、丘に毛が生えたような山だ。
正式な名前が東山ではないと思うが、みんな東山と呼んでいた。
「お楽しみ会」が終わった後、福本先生が「金田くんのクイズ、むっちゃ面白いね。
」と言ってくれた。
次の日の放課後、クラスで一番けんかが強い小田くんが「金田、クイズやってくれ。
」といった。
ぼくは、みんなの前でクイズを2問出した。
その日以降、ぼくは放課後のヒーローになった。
一週間くらい経った頃、そろそろ皆が放課後のクイズ大会に飽きてきているのを感じた。
ぼくはいつまでも「放課後のヒーローでいたい」そう考えていたんだと思う。
そこで、考え付いたのがクイズの正解者に景品をあげるという演出だった。
問屋のおにーちゃんがくれた新作文具のサンプルをクイズの正解の景品にし、正解者に配った。
「放課後のクイズ大会」は再び活気づいた。
やがてサンプル品の手持ちが無くなると、お店の商品をくすねるようになった。
「おかーちゃん、消しゴム無くなったから、1個持っていくで・・。
」といって棚から4,5個の消しゴムをくすねた。
そんなことを何回か繰り返しているうちにものすごく心が痛んだ。
当たり前のことだが、おばーちゃんとおかんとおとんが一生懸命はたらいて儲けた利益が減るからだ・・。
翌週のある日、山城くんが太鼓焼きを買いに行こうといったので、友達何人かと自転車で隣町のダイエーにいった。
1階の「ファーストコート」で太鼓焼きを買って食べた後、僕達は2階の雑貨売り場を見てまわった。
文房具のコーナーを見ていた時、僕の心に悪魔が入りこんだ。
そろそろ帰ろうということになり、みんなで駐輪場に向かった時、ぼくは「お腹が痛いからトイレに行ってくる。
先帰っといて。
」とみんなに言った。
みんなが自転車に乗って駐輪場から出て行くのを隠れながら見届けた後、ぼくは2階の文房具コーナーに向かった。
文房具コーナーを2周まわり、周りに誰もいないのを確認して、棚からくだものの香りがついた消しゴムを3つかみ上着のポケットにねじ込んだ。
心臓は高鳴り、こめかみまでどくどくしていた。
小走りで階段を駆け下り、ドアを出た瞬間だった。
いきなり後ろから羽交い絞めにされた。
「こらクソガキ、お前万引きしたやろ!」
青い制服を着たダイエーの警備員2人だった。
ぼくは頭が真っ白になり自分ではない自分が必死に逃げようともがいていた。
そのまま警備員室に引きずられて、いすに座らされた後、逃げないように中から鍵をかけられた。
ぼくはポケットから消しゴムを出した。
消しゴムは全部で12個あった。
警備員の1人が紙と鉛筆を出して「名前と家の電話番号をここに書き」と怖い目でやさしく言った。
「それだけは堪忍してください」とぼくは泣きながら何回も言った。
「ほんなら警察連れていかんなあかへんで・・」ともう一人の警備員がいった。
どうしようもなくなったので、ぼくは紙に名前と電話番号を書いた。
警備員は受話器持ち、黒電話のダイアルをまわした。
「もしもし金田昭洋君のおかーさんいらっしゃいますか?」
電話に出たのはおかんのようだった。
「私、ダイエー中木店の警備の者ですが、実は息子さんが万引きしましてん。
迎えに来てもらえますやろか?」
おかんがやって来るまで30分くらの間、警備員のおちゃんが「今回が初めてか?」とか「悪い事は癖になるから捕まってよかった。
」とか言っていたけれど、ぼくは上の空だった。
おかんが慌てた様子でやって来て「あんたなんちゅう事したん」といってぼくの頭を叩いた。
」
さらに盗んだ物が消しゴムだと分かってさらにもう一発殴られた。
おかんは警備員に何回も謝って、ぼくは、「もう二度とやりません。
」という誓約書を書かされた。
家に着いた時、おとんは配達に出ていた。
おかんはどういう風に怒ったらいいのかすら分からなかったみたいで、ずっと黙っていた。
おとんが帰って来ておかんが今日の事を掻い摘んで話をした。
おとんは顔を真っ赤にしてぼくのほっぺたに往復ビンタを2往復させた。
「お前のやった事は万年筆泥棒とおんなじことやぞ!!」と怒鳴った。
ぼくははっとするのと同時にとてつもない強烈な後悔に襲われた。
足と手が小刻みに震えて止まらなかった。
店を閉めて夕飯の時間になってからも、ぼくはずっとお店で泣いていた。
だれも呼びにはこなったし、みんな心が傷ついていた。
。
おばーちゃんのお店では、今までどんな事があっても誰かが突破口を開いて解決してきたけれども、今回ばかりは誰もどうも出来なかった。
それから2週間くらいは、灰色の闇がお店を覆っていた。
その2週間、夕飯でおとんは冗談も言わなかったし、普段は機関銃のようにしゃべるおかんも口数が少なかった。
もちろんぼくも暗かった。
ようやくみんながの心の傷が癒えたころ、何で消しゴムだったのかという話題になった。
けれど、それはぼくにもわからなかった。
何年か経ってぼくがほとんど大人になった頃、おばーちゃんが「おとんも小さい頃、同じ様なことをした」と教えてくれた。
おとんは大学ノートだったらしい。
くだもののにおいがする1ダースの消しゴムと大学ノート。
その時ぼくの心の傷はおとんと半分ずつになったけれど、おばーちゃんは2回同じ心の傷を負っていたことを知った・・。