第4章 オートマチック TOYOTA かむり

サラリーマン時代のおとんは多少の熱やおなかいたでも滅多に会社を休まなかった。
仕事振りは実際に見たことがないので、本当のところはわからないが、少なくとも勤め人としては真面目な人だと思っていた。
けれど文房具屋デビューを果たしたおとんは、しばらくぶらぶらしていた。

向かいのくすり屋にしょっちゅういっては将棋を差していた。
くすり屋はガラス扉だったのでうちの店から中の様子が良く見えた。

おとんとくすり屋のおっちゃんは将棋の勝敗にお金を掛けていたようだ。

くすり屋のおっちゃんのリアクションがあまりにも激しいので、店から眺めているだけで、どちらが勝ったかはすぐわかった。
おとんの将棋の腕前は決して凄いというほどではなかったけれど、だいたい3回に2回はおとんが勝っていた。

ぼくはおばーちゃんとおかんにその勝敗をちくいち報告した。
「くすり屋のおっちゃん今日3回とも負けや・・。
」「おとうちゃん帰ってきたらアイスクリームこうてもらい。
」おかんもおばーちゃんも、おとんがぷらぷらしていることについては、特別怒っているような様子でもなく不思議だった。
ある日を境におとんは夕方から晩ごはんまでの間、ほとんど毎日出かけるようになった。

くすり屋にも行っていないので、不思議に思いおかんに聞いてみた。

「おとうはんどこ行ってんの?」「自動車学校や」ぼくはおとんが免許を持っていないのは、足が悪いせいだとずっと思っていたので、すごく驚いた。
今でこそオートマチック限定という言葉が有名で最近出来た制度のように思われているが、実は何十年も前からあったのだ。
1ヶ月くらいたったある日、おとんは免許書をもって帰ってきた。
免許の中のおとんは普段と違う黒縁メガネで赤のチェックのネクタイをしていた。
一生懸命笑顔を作っているのは良くわかるが、どう見てもにやけているようにしか見えない。

おかんが免許みて「なんかみなみの食いだおれ人形みたいなや」といったのでぼくとおばーちゃんは大笑いした。
いつもは、からかわれると逆に喜ぶおとんだったけれど、この時ばかりはさすがにむっとしていた。
それから3週間くらいたって免許のことも忘れたかけていたある日の夕方、ぼくが店の奥でテレビを見ていた時、4人連れのお客さんが入ってきた。

3人は背広にネクタイのおっちゃんとおにーちゃんで1人は女性だった。

おおよそ、うちの店に来るお客さんとは雰囲気が違っていたので少し気にはなったが、テレビの漫画がいい場面だったので、ぼくはテレビの前から離れなかった。

少し何か話した後、おとんとおかんが、すぐにそのお客さん達と外に出ていった。

しばらくするとおかんが「昭洋、ちょっと外に出といで!!」といつもと違う感じの声でぼくを呼んだ。
ぼくは何か面白いものが見れるということを直感し、あわてて外に飛び出した。

店の前には緑の乗用車が止まっていた。

「おとうちゃんの車やで」とおかんがいった。
はじめはおかんのいっている事がよく理解できなかったのだが、次第に事の大きさを実感し背中とお尻の間がこそばくなった。
あまりにも興奮していたので、ただただ車を見つめ、ものが言えなくなっていた。

おかんはちょとがっかりした様子で「なんや。
反応薄いな・・。
」といった。

当時オートマチック車はものすごく珍しく、推測ではあるがぼくの町にはおとんの車だけで、大阪府下でもそんなになかったんじゃないかと思う。
車の販売店もオートマチックの納車はめずらしかったようで、営業マンが2人とお姉さんが1人、所長まで納車に立ち会ってくれた。

ひととおり車の説明やら、書類の引渡しなどが終わった後、お姉さんが車のトランクから花束を出しておとんに差し出した。

「おめでとうございます。
」とお姉さんが言うと所長と2人の営業マンが拍手をした。
おとんは照れくさそうに花束を受け取った。

その後、おとんとおかんとおばーちゃんと良子とぼくと、なぜかくすり屋のおっちゃんが入って、車をバックに記念撮影をした。
おかんとおばーちゃんが夕食の支度をしに店にはいった後も、ぼくとおとんは車の周りを何度か回って見たり、シートに座ってみたりしていた。

おかんが「ごはん出来たで」と呼びに来たので、ぼくらはしぶしぶ店にはいった。
夜ご飯を食べているとおとんの同級生のおっちゃんがぞくぞくと店にやってきた。

やって来たおっちゃんの行動は人が変われどみんな大体同じだった。

「昭男ちょっとエンジンだけ掛けてきてもええか?」とおっちゃんが聞く。

「乗ってきてもええで」とおとんが言う。

「ほんまか!」とおっちゃんがいう。

おとんが鍵を渡す。

おっちゃんが店を出て車に乗り込み町内を1周か2週して帰ってくる。

「昭男、ええ車やんけ」とおっちゃんがおとんの車を褒める。

おばーちゃんが友達にビールを注ぐ。

の繰り返しだった。
ぼくは内心、車に傷がついたりしないかドキドキしていた。
おとんは好きなビールに手をつけなかった。
きっとこれからドライブに連れっていってくれるんだなと思った。
いつもは、おとんの友達が店に来て飲んでいくのが嬉しくて、帰るといった時にはなにかさみしい気持ちなる。

けれど、今晩だけは「早く帰ってくれ!」と心の中でお祈りをした。
そんな気持ちが通じたのか、おとんの一番の親友、アッサンが「今から臨時の同窓会やるぞ!「道草」に移動や!!」と言った。
「やった!!」と心の中で叫んだ後、少し不安なった。

お酒好きのおとんはお酒の誘いを断ったことがないからだ・・。
皆が帰り支度をばたばたと始めた。
ぼくはおとんの様子をずっと見ていた。
同級生連中も察していたようだった。

おとんを誘うことなく「ほな、おばちゃん、ご馳走さん」とおばーちゃんに礼を言って出ていった。
おかんが手早く洗い物を済ませると、おとんが「ほなちょっと行こか・・」と言った。

おばーちゃんは「私は怖いからやめとく・・。
」と言った。

ぼくはとにかく早く行きたかったので、ひつこく誘うことはやめた。

店を出て4人で車に乗り込んだ。
ぼくは助手席座っておかんと良子は後ろの席に座った。

あらかじめ決めていた訳ではないが、ものすごく自然だった・・。
おとんがまじめな顔でキーを回してエンジンをかけた。
後ろのおかんもおとんと同じくらい緊張していた。
ぼくは背中とお尻の間くらいがさっきの何倍もむずがゆくなり、少し腰を浮かせた。

車は店の前の路地を抜け国道25線に出た。

信号2つ目で赤につかまった。

その交差点にはよく行く中華屋「来来軒」がある。

おとんは信号待ちの間に「らーめん食うて行くか?」と聞いた。

おかんは「さっき食べたばっかりやろ」とあきれて言った。

ぼくも「おなかいっぱいや」と言った。

おとんも「わしもおなかいっぱいや」と言った。

提案者含め満場一致でおとんの案は却下となった。
初の家族ドライブは30分くらいだったと思う。
家に帰って、ぼくは、おかんと良子と風呂に入った。

その後おとんが風呂に入り、あがってからおいしそうにビールを飲んでいた。

ふとんに入ってからもしばらく寝付けなかったので、ぼくは車で仕入れに行くのを想像してみた。
また、背中とお尻の間がむずむずとなった。
何日か後、車屋のお姉さんが車がやって来た日に取った記念写真を持ってきてくれた。
おとんの顔は相変わらずにやけていたが、その写真のおとんは免許証のおとんと違いすごく自然だった・・。

web 小説「文房具屋に生まれて」

第1章 おばーちゃんの店
第2章 おとんの決断
第3章 通天閣
第4章 オートマチック TOYOTA かむり
第5章 ブルーメタリックの万年筆
第6章 小さな文具屋のイノベーション
第7章 一家に一台「マイ ティーチャー」
第8章 1ダースの消しゴム
第9章 「昭和の第4コーナー」
第10章 くすり屋に生まれて
第11章 おかんとぼくの暗黙同盟
第12章 幸運の白いヘビ
第13章 パンチパーマとおんなごころ
第14章 誕生日には筆ばこを・・
第15章 「ままならず」の呪文
第16章 ファーストラブ(初恋)
第17章 世界で一番暑い秋
第18章 かすれ声のアカペラ・・(素歌)
第19章 真珠とおしるこ(前編)
第20章 真珠とおしるこ(後編)
第21章 tough pulling(引きの強さ)
第22章 文房具屋の匂い・・
第23章 さくら色の嘘
第24章 男子、たまに泣いてもいいんよね
第25章 走ればええねん。ただ速く!!
第26章 朝ごはん、食パン、チーズとマヨネーズ
第27章 文房具屋に生まれて
第28章 夜道に紺色の浴衣
第29章 違う理由
第30章 祭りの後に・・(前編)
第31章 祭りの後に・・(後編)