第6章 小さな文具屋のイノベーション
ぼくの住んでいた町にはおばーちゃんの店を入れて3件の文房具屋があった。
1店は梶田小学校の目の前にある「コスモス堂」で画材やら絵の具などを豊富に取り揃えていたため、小中学生から大人まで人気のある文房具屋だった。
もう1店は駅前通り商店街にある「山元文具」で、好立地のためサラリーマンがよく利用していた。
これまた繁盛しているお店だった。
おばーちゃんのお店は商店街の一番下手でさらに路地を一本入ったところにあった。
しかも、他の2店と比べめっだった特徴もなかったし、特別安いわけでもなかったので、町では一番影の薄い存在だった。
夏休みも終わりに近づいたある日、おとんが訳のわからない事を言い出した。
「これからの商売は攻めが重要や!」おおかた何かの本か雑誌で読んだのだろう。
おかんとおばーちゃんはぽかーんとしていた。
「うちの店はお客を待つのではなく文房具を配達するんや!!」
「せや!文具の出前や!!」おとんの目がきらきら輝いていた。
「そば屋やあるまいし・・。
」とおかんが突っ込んだ。
たしかに、大阪市内など大きな都市では文具の納品業がその当時からあったのだと思うけれど、会社が少ない小さな町では確かに画期的な発想ではあった。
おとんは早速近所の印刷屋に行き100枚のちらしを注文した。
刷り上ってきたチラシには「文房具出前いたします!!」という文句と電話番号が書かれていた。
おとんはそのちらしを手始めに知り合いの商店や工場に配った。
3日後電話がかかってきた。
電話を取ったおかんはちょっとあきれた顔でおとんに受話器を渡した。
「はい毎度!!」とおとんがむちゃくちゃでかい声で受話器に向かって言った。
ぼくは電話の向こうの相手の鼓膜が破れるんじゃないかと心配した。
「そーですねん。
配達初めましてん。
」「珍しいでっしゃろ」「ノート3冊と赤鉛筆が2本、金サシ1本でんな」とおとんは復唱しながら注文をメモした。
「金サシは来週なりますけどよろしいでっか?」「ほなすぐ届けますわ!!」おとんは電話を切るや否や、車のキーをポケットに入れ、棚から大学ノートひとしめと赤鉛筆1ダースを掴んで慌てて出て行った。
30分後おとんが帰って来た。
そしておばーちゃんに誇らしげに940円渡して、「レジに入れといてや」と偉そうに言った。
「ノート3冊鉛筆3本やったんちゃうん」とおかんがいった。
「「せっかく持って来てくれんてんから全部もらうわ」言うてくれはたんや」おとんはあたかも最初から計算ずくのように言い捨てて、また出て行った。
おとんが出て行った後「ほんま・・ノートと鉛筆売るのに燃料代なんぼかけのんやろ」とおかんが呟いた。
夕飯の用意が出来た頃、おとんが大量のちらしをもって帰って来た。
調子に乗っったおとんは追加で500枚のちらしを印刷してきた。
それを見たおかんは「この町に何件会社がある思てんの・・。
」とあきれ顔で呟いた。
確かにこの町には商店や会社や工場、全部合わせても500件にはならなかった。
おとんに聞こえたかどうかは分からなかったが、その言葉におとんは反応しなかった。
その日以降も一日コンスタントに2件から3件の電話が掛かってきた。
おとんは配達に出るたび、ちらしをもっていった。
ある日びっくり仰天の電話が掛かってきた。
隣町の製パン工場から来年の手帳を900冊見積もりしてほしいという内容だった。
おとんは密かに隣町までちらしを配っていた。
おとんは慌てて手帳専門の問屋に電話をした。
「900冊やで・・。
もうちょっとまけてーや・・。
うん・うん・うん」おばーちゃんもおかんも電話での会話に聞き耳をたてていた。
「260円や」と電話を切ったおとんが言った。
その後印刷屋に電話して会社名の名入れの値段を確認した。
その日の夕飯のテーブルで激しい会議が行われた。
おかんはえげつない値段を提案した。
おかんは万年筆事件以来あせっていたから、ここはいっきに儲けようという作戦だった。
おばーちゃんは「そんなえげつないことしたらあかん」の繰り返したった。
おかんとおばーちゃんの意見が食い違うことは今まで一度もなかったけれど、その夜だけは違った。
激論の末、最後はおばーちゃんが決めた値段でいこうということになった。
次の日の午後、おとんは免許の写真と同じ赤チェックのネクタイをして製パン工場に見積もりをもっていった。
帰って来たおとんにおかんは「どやった?」と聞いた。
おとんは「そんなもん、わからんわい」と言った。
2週間後、工場から電話があり注文をもらえる事になった。
けれどひとつ条件があった。
4月7日と11月4日はパン工場の設立記念日と会社の創立記念日だったので、その日の欄に「記念日」と記してほしいという要望だった。
おとんが印刷屋に聞いてみたけれど、手帳の中のあるページに印刷するのは一旦ばらさないと出来ないとの事だった。
「やっぱり専門業者しか無理やなぁ」とおとんが半ばあきらめ顔でいった。
その時「ゴム印作って押したらええねん」とおばーちゃんが言った。
「ええ考えや」とみんなが声を揃えていった。
おとんが早速工場に電話したところ「それでもええ」といわれた。
冬が始まった頃、お店に900冊の手帳が届いた。
それから1週間夕飯の後の1時間はみんなで、はん押しをやった。
おかんは上下さかさかまに押したのが4つと日付を間違えたのが7つ、合計11冊の手帳をだめにした。
ぼくは6つでおばーちゃんが3つおとんは0だった。
こういう作業はおとんが一番丁寧で、おかんが一番ザツだった。
12月の初め、おとんが工場に手帳900冊を納品し手形を持って帰ってきた。
金田文具店はじまって依頼の大商いだった。
この一件以降、電話の注文はうなぎ上りに増えていき、おかんも文房具の出前をバカにはしなくなった。
年が明けてお店に電話をもう一本引くことになった。
おかんとおばーちゃんが電話を取りおとんが配達専門になった。
おばーちゃんのお店に活気があふれ仕入れの量も増えた頃、問屋が配達してくれるようになった。
楽しみだった土曜日の仕入れは行けなくなったけれども、ぼくはおばーちゃんのお店が繁盛していることの方が嬉しかった。
くすり屋のおっちゃんは将棋がさせなくなり、ちょっと不機嫌だった。
小さな町に小さなイノベーションの風が吹いていた。