第15章 「ままならず」の呪文
正志にーちゃんが夜間大学に通いながら、うちの店で働くようになって半年が過ぎた頃、おとんがお金を出して、正志にーちゃんに車の免許を取らせた。
正志にーちゃんはうちの店に来てすぐに自動二輪の免許を取って、バイクで配達していたのだけれど商品があまり積めないし、なにより事故をすると大怪我につながるので、おとんはそのへんをすごく気にしていた。
自分が電車の事故をして片足を失った事を「人生がええ方向に変わった・・」といつも言ってはいるものの、やっぱり不便に感じていただろうし、後悔もしていたのだと思う。
正志にーちゃんがバイクの免許を取ったときは、おとんが金型屋のサブニーに「正志にバイクの乗り方教えたってくれ」とた頼んだ。
サブニーは純真な不良少年から、そのまんま純真な不良の大人になった直っすぐな男で、「おれの眉毛は世界一細い!!」というのが自慢だった。
時々・・(というかしょっちゅう)無茶をするので町では少し厄介者の扱いだったけれど、金型屋の大将と、うちのおとんの言う事だけはいつもよく聞いていた。
おとんに頼まれて渋々、サブニーは昼休みとか、仕事の合間の時間に、命よりも大事なホンダドリームCBを持ってきてバイクのいろはを正志にーちゃんに教えた。
「お前!!バイクに1ミリでも傷つけたら、殺す!!」と脅かされた正志にーちゃんは、ガチガチになって練習していたけれど、スパルタ教習の甲斐あって、試験を一発合格した。
おかげで、正志にーちゃんがバイクの免許を取るのにほとんど「ただ」ですんだ。
「ただより、高いものはない」とよく言うけれど・・。
ぼくの町では「「ただ」より美しい言葉はない」が格言だった。
さすがに、車の免許となると話は別で、ものすごくお金はかかる。
そんな大金を正志にーちゃんが持っているわけもなく、
「いまどき、大学の卒業証書があっても、車の免許がなかたっら仕事につかれへんぞ!!」とおとんが言って
「そんなことしてもらえないですわ・・」と断る正志にーちゃんを押し切って自動車学校のお金をだした。
今、思うと、「正志にーちゃんが大学を卒業をして、万が一でもうちの店の社員になってくれたら・・」なんていう助平心がおとんの心の片隅にあったんじゃないかと思う。
免許が取れた日「おやっさん、ご恩は一生忘れません・・。
」と正志にーちゃんが、半分涙目で言っていた。
しばらくしてうちの店に中古で左右のドアに「金田文具店」とプリントされたマツダファミリアがやってきた。
正志にーちゃんの運転もそろそろ板に付いてきたある日
「アキ君、今週の日曜日エキスポランドに一緒に行けへんか?」と正志にーちゃんは僕を遊園地に誘った。
「行く!!」とぼくは二つ返事で答えて「大学の友達も一緒やけど、ええか?」と正志にーちゃんは聞いた。
大学生と遊びに行くなんて文字通り「有難き幸せ」だった。
正志にーちゃんは、配達から帰って来たおとんをトイレの前まで追いかけて
「おやっさん、今週の日曜日、アキ君と学校の友達とエキスポランド行くんですけど、ファミリア使わしてもらえませんか?」と決死の覚悟でお願いした。
「うん?」とおとんが聞き返して、返事を聞かずにトイレに入った。
トイレから出てきたおとんに、もう一回はじめから
「おやっさん、今週の日曜日、アキ君と学校の友達とエキスポランド行くんですけど、ファミリア使わしてもらえませんか?燃料は満タンにします・・。
」と聞いた。
以外にもおとんは「ええで」と軽く返事をした。
むしろ、何でそんなに正志にーちゃんが気合を入れているかを不思議に感じているようだった。
「事故せんように気いつけろよ」とおとんが付け加えた。
「はい!!」と正志にーちゃんは2オクターブくらい高い声で唸った。
おとんはもう一回不思議そうな顔をした。
日曜日の朝、おかんが3人分の弁当作って持たせてくれた。
お店を出発した僕達は一緒に行く正志にーちゃんの友達をピックアップするため東大阪の布施に向かった。
ぼくは、布施に着くまで「一緒に行く人が怖い人やったらいややなぁ」とすこしドキドキした。
布施のある小さなアパートの前に車を止めて待っていると、ラジオの10時の時報ぴったりに一人の女性がアパートの階段から降りてきた。
一緒に行く友達はおにーちゃんと勝手に思いこんでいたけれど・・。
真っ白いシャツにネズミ色のタイトスカートで細身のショートカットのおねーさんだった。
後ろのシートに乗り込んだおねーさんは「こんにちは」と言って、
ぼくは精一杯感じのいい笑顔で「こんにちは」と返した。
車内はなんともいえないヘアーリンスのいい匂いがして、ぼくの胸はドクドクした・・。
見たところ正志にーちゃんも同じ感じだった。
ぼくらは近畿自動車道を北上して吹田に向かった。
道中の車で、ぼくはなんか一杯しゃべった記憶はあるが、どんな内容の話をしたかは全く覚えていない・・。
エキスポランドについて、何個かの乗り物に乗った後、芝生に新聞紙を敷いて昼ごはんを食べることにした。
おねーさんも弁当を持って来ていて、ぼくらの前には6人分の弁当が並んだ。
「こんな一杯、無理して食べんでもええよ・・。
」とおねーさんが言ったけれど。
ぼくと正志にーちゃんは、根性を決めて完食した。
おかげで、午後しばらくは笑うのも辛いくらいお腹が一杯だった。
午後は片っ端から乗り物に乗った。
2人乗りの乗り物はぼくとおねーちゃんがペアで正志にーちゃんが一人で乗った。
エキスポランドの乗り物をほとんど制覇したころ、ちょうどいい時間になったので、そろそろ「帰るか」と正志にーちゃんが言った。
近畿自動車道を朝とは逆に南に向かった。
東大阪インターで降りて信号待ちの時、ぼくは思い切って提案してみた。
「3人でうちに行きひん?」
おねーちゃんは「行きたい!!」と声を弾ませていった。
正志にーちゃんははじめ渋ったけれど、2人があまりにも盛り上がっていたので、
最後は「行くか」と言った。
ぼくたちはおねーちゃんの家から、金田文房具店に目的地を変更した。
うちに着くとみんなちょっとびっくりしたけれど、すぐに大宴会が始まった。
おかんはおねーちゃんに、田舎はどこか?とかお父さんはなんの仕事をしてるか?とか実家で何か動物を飼っているか?とか・・とにかく根掘り葉掘り質問した。
大阪では、初対面の人に根堀り葉堀り聞くのが「礼儀?」だったからだ。
おとんはとにかく上機嫌だった。
おばーちゃんは2分に一回くらいおねーちゃんにビールを勧めた。
正志にーちゃんだけ、借りてきた猫で・・ただただ恥ずかしそうだった。
「正志、お前も飲め」とおとんが酒を勧めた。
「あほ!お嬢さん送っていかなあかんからやめとき!!」とおかんが一喝した。
久しぶりに誰が何を言っても、みんなが大笑いするような夕飯だった。
一通り、みんなが笑い疲れたころ、正志にーちゃんが「そろそろ帰りますわ」と切り出した。
ぼくは、2人を車まで見送った。
「またね、アキ君」とおねーさんは言った。
おねーさんが助手席に座って、ファミリアが車庫を出て行った。
その晩、布団の中でぼくは、今度は関西スポーツサイクルセンターで変り種の3人乗り自転車に乗るシーンを想像した。
正志にーちゃんが一番前で真ん中がおねーちゃん、後ろにぼく・・。
けれどそれ以降、おねーちゃんに会うことはなかった・・。
人生の大半はいつも思いのところと裏腹で・・正志にーちゃんの恋はあっけく終わった・・・。
振られた日から2日間、正志にーちゃんはお店を休んで、次の日おとんにむちゃくちゃ怒られていた。
どん底の正志にーちゃんに
「正くん、人生ままならずや」とおばーちゃんが声をかけた。
「ままならず」
今でもその呪文はどんなときもぼくを助けてくれる・・。