第10章 くすり屋に生まれて
そよ風がちょっとだけ涼しくて、気持ちのよい秋の始まりの日だった。
向かえのくすり屋のおっちゃんが死んでしまった。
お酒を飲んで、咳薬を大量に飲んで、お風呂に入って、心臓マヒだったらしい。
くすり屋は3日くらいシャッターが閉まりっぱなしだったので、もっと早く気づけばよかったのだけれど、おばーちゃんもおかんも気づかなかった。
くすり屋のおっちゃんはサボり癖があったので、平日もシャッターが閉まるっていることが多かったし、向かえだったので逆に少しの変化に気づかなかった。
3年前、くすり屋のおばちゃんが1人息子の孝ちゃんを連れて出て行って以来、おっちゃんは天涯孤独の身になった。
警察からの連絡を受け、3年ぶりにおばちゃんと孝ちゃんがこの町に帰ってきた。
孝ちゃんはぼくの3つ上でよく遊んでもらった。
キャッチボールの時は手加減して投げてくれるのだが、それでもビューンと唸っていた。
二人でよく落とし穴を掘った。
近所の子供達がバッタ取りにいく広っぱがあり、そこに続く小道に穴を掘って、新聞紙で蓋をして土をかぶせた。
ぼく達は少しはなれた木陰から誰かが引っかかるのを待った。
はじめは15センチほどの深さで、引っかかった子供は足首くらいがずぼっと埋まり、ちょっとよろめくのを見て、ぼく達は声を押し殺して笑った。
「昭、いっかいうち帰るぞ」と孝ちゃんがいって、穴を埋め始めた。
「こうちゃん、もう一回やろうや!」とぼくがいった。
「もっと深くほんねんや」
家についた孝ちゃんはくすり屋の裏庭から大きなシャベルと新聞紙を持ってきた。
ぼく達は小道に戻り、誰も来ないのを確認して急いで穴を50センチくらいの深さまで掘った。
そして新聞紙何枚かで蓋をし、土を薄くかぶせて木陰に隠れた。
普段、子供しか通らない小道に、なぜか牛乳屋のおっちゃんが自転車でやってきた。
牛乳屋のおっちゃんは町の人気者で、いつもキャラメルを持っていて、子供に会う度に「勉強がんばりや」といってキャラメルを一個くれた。
孝ちゃんが「あかん」と小声で呟いた瞬間、牛乳屋のおっちゃんは宙を舞っていた。
「ガッシャン」という音とともに、牛乳瓶が砕け散り、おちゃんは地面に倒れていた。
牛乳屋のおっちゃんはぴくりとも動かなかった。
孝ちゃんがぼくの肩をたたき、目で「逃げるぞ」と合図した。
帰り道「牛乳屋のおっちゃん死んでへんかなぁ?」とぼくは孝ちゃんに聞いた。
「大丈夫や」といった後「絶対に誰にも言うなよ」と孝ちゃんは付け加えた。
ぼくたちはそれぞれのお店に帰った。
ぼくは夕飯がのどを通らなかった。
「あんた、元気ないけど、なんかあったんか?」とおかんが聞いた。
夕飯のあと、不安でいたたまれなくなり、本屋に行ってくると嘘をついて、牛乳屋に様子を見に行った。
牛乳屋はシャッターが閉まっていたので、中の様子は分からなかったけど、店の前に前カゴが変形した自転車が置いてあったので、牛乳屋のおっちゃんが死んでいないことだけは分かった。
店に帰ったぼくに「あんた、絶対なんかおかしいわ」とおかんが言った。
ぼくは泣きながら今日のことを説明した。
「悪いことばっかりして、あほ!」
「牛乳屋のおっちゃんのとこへ謝りにいくで」とおかんが言った。
先にくすり屋に行きおかんがおっちゃんに今日のことを説明した。
「孝介!!」とおっちゃんが2階にいた、孝ちゃんを呼びつけた。
それから4人で牛乳屋に謝りにいった。
おかんがシャッターの横にあるブザーを「ブー」と2回鳴らした。
ぼくは、牛乳屋のおっちゃんの怪我がひどくないことだけを祈っていた。
シャッターの横の小さな扉が開き、牛乳屋のおばちゃんが出てきて、ぼく達はお店に入った。
奥でおっちゃんがテレビを見ていた。
額と肘にバンドエードを貼っていたが、他はなんともないようだった。
ぼくと孝ちゃんはおっちゃんに「ごめんさない」と6回くらいあやまった。
「ほんまびっくりしたで・・。
あんまり深い落とし穴は危ないから、これから浅いのにしときや」とおっちゃんは笑っていった。
帰り際、ぼくと孝ちゃんにキャラメルを1箱づつくれた。
おかんが「割れた牛乳、弁償しますわ」といったけれど、おっちゃんは受け取ろうとしなかったので無理やり机の上に2千円を置いて店を出た。
店の前でくすり屋のおっちゃんは孝ちゃんを5,6発手加減なしで殴った。
店に帰ったら、おとんはにやにや笑って「わしがちっちゃい時は背丈くらい穴ほったで」といった。
ぼくはおとんがおとんでよかったと思った。
孝ちゃんはくすり屋のおっちゃんの事が嫌いだった。
賭け事とお酒が好きでおばちゃんと孝ちゃんによく暴力を振るうからだと思う。
「死んでもうたらええ」とよく言っていた。
孝ちゃんがこの町に帰ってきていた2日間、ぼくは孝ちゃんと一言も喋らなかった。
あんなに仲がよかったのに。
3年ぶりに再会すると気恥ずかしかった。
孝ちゃんも同じ態度で、お互いがお互いの存在を無視していた。
お葬式が終わりおっちゃんの棺が霊柩車に乗せられた。
そして霊柩車が長いクラクションを鳴らして出発した時、孝ちゃんが声を上げて泣き出した。
ぼくは孝ちゃんが、くすり屋のおっちゃんの事をものすごく恨んでいると思ったので、すごく驚いた。
おばーちゃんが孝ちゃんの肩を優しく揉んだ。
すっかり日が暮れたころ、くすり屋のおばちゃんと孝ちゃんがお店に「今から和歌山に帰る」と挨拶にやってきた。
その時が孝ちゃんと口を聞く最後のチャンスだったけれども、結局何も話せなかった。
おとんが「孝ちゃんがんばりや」といった。
孝ちゃんは「はい」と頷いた。
それから、みんなで路地に出て2人が駅に向かうのを見送った。
角をまがるほん手前で孝ちゃんが振り向き手を振った。
孝ちゃんはぼくを見ていた。
ぼくも手を振り返した。
そして2人は角を曲がり姿が見えなくなった。
何年か経ってぼくはテレビの中で孝ちゃんを見つけた。
夏の甲子園大会で孝ちゃんは和歌山代表校のエースだった。
テレビの解説者は「エースの前川くんは幼いころお父さんを亡くされて、お母さん1人に育てられました。
天国のお父さんが見守ってくれているでしょう。
」と解説していた。
孝ちゃんの投げるストレートはあの日とおなじでビューンと唸りを上げていた。